日本の古代の美術は素朴で力強いのが特徴です。
縄文土器や土偶には宗教的な意味合いが込められたものも見られます。
これが稲作が始まる弥生時代になると、弥生土器は高めの温度で焼くことができるようになり、幾何学模様が多くなり、薄くて、ろくろの技術を用いたものが出てきます。金属の鋳造(鋳型を使う技術)によって、銅剣、銅鏡、銅鐸などが作られるようになりました。これらも様々な儀式や王の権威を示す道具に使われたようです。
古墳時代の埴輪は土を焼いて大王や身分の高い人の墓などに備えられました。作ったものです。素朴なものが多いですが、様々な造形から当時の生活がよくわかります。伊勢神宮の神明造(しんめいづくり)や出雲大社の大社造はこの時代からずっと伝えられているつくりです。また高床の倉庫など気候風土にあったつくりのものも見られます。
飛鳥時代になると、大陸から仏教が伝わり、仏教美術がひろがり急速に文化が変容します。
工芸では玉虫厨子、仏像では釈迦三尊像、百済観音像など法隆寺には当時の文化の様子を伝えるものが国宝として現存しています。また広隆寺の弥勒菩薩像は一木造(いちぼくづくり)、中宮寺弥勒菩薩像は寄木造(寄木造)の当時を代表する仏像です。
奈良時代になると、大陸の影響を強く受けた彫刻や建物作られ、写実性のある絵画が描かれるようになります。
①白鳳文化
前半の白鳳文化は、飛鳥時代から奈良時代はじめの清新な文化です。法隆寺金堂壁画(現存する日本最古の肖像画)です。大陸の様式や技法の起こりは大陸の影響が強く見られます。高松塚古墳壁画もこの時代のものです。また法隆寺(金堂、五重塔)はそうした大陸風の文化を色濃く反映したものです。薬師寺東塔もこの時代を代表する建築です。仏像では薬師寺薬師三尊像があります。
②天平文化
後半の天平文化は貴族好みの力強く国際的な文化です。中国では唐が全盛期を迎え、その文化の影響が色濃く出ています。鳥毛立女屏風(とりげだちおんなびょうぶ)、薬師寺吉祥天像があります。正倉院は校倉造(あぜくらづくり)の建物で、唐招提寺金堂は寄棟造(寄棟作り)の建物です。
平安時代になると、唐が衰え、遣唐使が廃止されて、貴族好みの日本独自の洗練された国風文化が栄えます。絵巻物と呼ばれる源氏物語絵巻で大和絵の技法で描かれています。軽妙な筆致でアニメの源流とも言われる鳥獣戯画、彫刻では平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(定朝の作)、建築では平等院鳳凰堂(寝殿造)がこの時代のものとして有名です。
鎌倉時代になると、武士の好む力強い文化が栄えます。似絵(似絵)と呼ばれる武士を描いた絵画や、軍記物といわれる平治物語絵巻などが描かれます。彫刻では運慶・快慶の作の東大寺金剛力士像が有名です。建築では東大寺南大門(大仏様)、円覚寺舎利殿(禅宗様)があります。
また別の機会に日本の美術の後編をまとめます。
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